取り合わせ(ニ物衝撃)と一物仕立ての基礎知識

≪取り合わせ・ニ物衝撃≫

 白梅を模した練り菓子を、アルミホイルを敷いた紙皿に載せて出されても、あまり美味しそうに感じることはできません。
 しかし、漆器のお皿に載せて出されれば、とても美味しそうに感じることができます。

 逆に、炙ったスルメを漆器のお皿に上品に並べられても、さほど食欲は湧きませんが、アルミホイルを敷いた紙皿にどっさり盛られると、腹がぐうと鳴ります。

 このように、多くのモノは、上手に別のモノと取り合わせることによって、互いに真価を引き出しあって、単独では発揮できなかった良さを生み出します。

 俳句にも、一句の中で、二つの事物(主に、季語と別のモノ・コト)を取り合わせることで、両者に相乗効果を発揮させて、読者を感動に導くような句が多く見出されます。

 そのような俳句を取り合わせの句、または、配合の句と呼びます。
 そして、取り合わせの句で、二つの事物が醸し出す効果・妙趣を、ニ物衝撃(にぶつ・しょうげき)と言います。

 実際に、取り合わせの句、つまり、ニ物衝撃の妙味が醸し出されている句をいくつか見てみましょう。

  花の雲鐘は上野か浅草か (松尾芭蕉)

  味噌豆の熟ゆる匂ひやおぼろ月 (中村史邦)
      熟ゆる=にゆる。

  けいこ笛田はことごとく青みけり (小林一茶) 

  初雪や少年院へ運ぶパン (凡茶) 

 一句目では「花の雲」(雲のように咲き誇る桜)と「鐘の音」、二句目では「味噌豆の煮える匂い」と「おぼろ月」、三句目では「けいこ笛」と「青田」、四句目では「初雪」と「少年院へ届けるパン」が、互いの良さを引き立て合っています。

 これらの俳句は、みな途中に切れが入る俳句(二句一章の俳句)で、切れの前に登場する事物と、後に登場する事物が互いに響き合っています。

 しかし、取り合わせの俳句、二物衝撃の句は、途中に切れの入らない一句一章の俳句でも作ることができます。
 例を見てみましょう。

  海士の屋は小海老にまじるいとどかな (松尾芭蕉)

  まさかりで柿むく杣が休みかな (水田正秀)

  あぢさゐに喪屋の灯うつるなり (加藤暁台)
      喪屋=もや。 灯=ともしび。

  襟巻をして東京の音の中 (凡茶)

 一句目では「たくさんの小海老」とそこに一匹まじった「いとど(カマドウマ)」、二句目では「柿」と「まさかり」、三句目では「あじさい」と「喪屋の灯」、四句目では「襟巻」(マフラー)と「東京の音」が二物衝撃の効果を醸し出しています。

 取り合わせ(二物衝撃)の句は初学の方でも比較的作りやすいので、季語をいろんな事物と組み合わせて、俳句の読者を「はっ」と思わせるような妙味を引き出して見ましょう。

 俳句という映画に、季語と言うヒロインと、取り合わせの語という助演男優を起用する監督になったつもりで、楽しんでみてください。
 当サイトでは、別ページでも、様々な取り合わせ・二物衝撃の可能性を探っていきたいと思います。

≪一物仕立て≫

 俳句には、他の事物と取り合わせずに、対象となる季語だけに意識を集中させ、その状態や動作を詠んだものもあります。
 そのような俳句を、一物仕立て(いちぶつじたて、あるいは、いちもつじたて)の俳句と言います。

 「一物仕立て」の句をいくつか見てみましょう。

  びいと啼く尻声悲し夜の鹿 (松尾芭蕉)

  春の海終日のたりのたり哉 (与謝蕪村)
      終日=ひねもす 哉=かな

  青柳や二すじ三筋老木より (佐久間長水)

  眼の限り臥しゆく風の薄かな (吉分大魯)

  大蛍ゆらりゆらりと通りけり (小林一茶)

 これらの句では、季語と別の事物を取り合わせていません。
 一句目は「鹿の鳴き声」、二句目は「春の海」、三句目は「柳の老木」、四句目は「辺り一面に広がるの薄(すすき)」、五句目は「大きな蛍の飛翔」だけが詠まれています。

 さて、こうした一物仕立ての句は、取り合わせの句に比べ、実はすごく作るのが難しいものなのです。
 一物仕立ての俳句は、季語の状態や動作を解説したような「理屈っぽい句」、読者に新鮮な感動を与えない「ありきたりな句」、工夫の足りない「安易な見たての句」になりやすく、佳句を生み出すのは容易ではありません。

 したがって一物仕立ての句は、取り合わせの句と比べると、ずっと数が少なくなります。
 私などは、一物仕立ての句は、今まで作ってきた句の一割程度かもしれません。

 しかし、一物仕立ての句は、いいものが出来るとすごく気持ちいいし、読者の心に強く響く、力強い俳句になることがあります。
 ですから、句会や俳句雑誌で評価される句を作るのは大変かもしれませんが、みなさんにも一物仕立ての句に果敢に挑戦していただきたいと思います。

 最後に、私の一物仕立ての句も、いくつか紹介させていただきます。

  蟷螂の共食ひ鎌を食ひ残す (凡茶)
      蟷螂=とうろう。カマキリのこと。

  おかはりのたび青の増す七日粥 (凡茶)

  白ワインほどの色ある春愁ひ (凡茶)

  春の川底の荒きを喜べり (凡茶)



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posted by 凡茶 at 21:54 | Comment(1) | より上手に俳句を作るコツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


つきすぎの俳句・はなれすぎの俳句

 俳句を始め、句会に参加するようになると、「この句はつきすぎですね」とか、「この句ははなれすぎですね」などという言葉を耳にするようになります。
 あるいは「俳句はつかず、はなれずで」などというアドバイスを受けるようになります。

 つきすぎ即き過ぎ)とは、季語と別の言葉との取り合わせが、誰でも思いつきそうな在り来たりなものであるという意味です。

 はなれすぎ離れ過ぎ)とは、季語と取り合わせた言葉の間の距離感が大きすぎて響き合うところが全くなく、趣きが感じられないという意味です。

 当サイトでは、今後、様々な取り合わせ・二物衝撃の可能性を探っていきたいと思いますが、その前に、「つきすぎ」、「はなれすぎ」ということについて少し述べておきたいと思います。

≪つきすぎ(即き過ぎ)≫

 俳句を初めて間もない頃、大学の句会で次のような俳句を投句しました。

  星冴ゆる風呂屋帰りの味噌ラーメン
      星冴ゆ=冬の季語。寒さのため、星の輝きまでもが凍りつきそうなさま。

 しかし、参加したメンバーは誰一人としてこの句を採っては(佳句として選んでは)くれませんでした。
 冬空の凍える星と、風呂上がりに食べる温かい味噌ラーメンの取り合わせが、「つきすぎ」なのだと、皆さんがおっしゃいました。

 この種の取り合わせは、誰しもが思いつく在り来たりな取り合わせで、こういう俳句を見せられても、何の感動も覚えないと言ういうわけです。

 私も初学者なりに一生懸命作った一句だったので、あまりの低評価にショックを受けましたが、これ以来、季語と別の言葉を取り合わせる際は「つきすぎ」にならぬよう、十分注意するようになりました。

 それから何年か経った後、別の句会で次のような句を投句しました。

  桜湯や初めて結ひし日本髪
      桜湯=塩漬けにした桜の花を入れた湯。

 この句に関しては、かなり自信を持って投句し、実際に句会でも何人かの方が採って下さいました。
 しかし、句会の先生はこの句を採ってはくれませんでした。

 選評の際、なぜこの句を採って下さらなかったのか先生に尋ねると、晴れの席で飲まれる「桜湯」という季語と、晴れの席で女性が結う「日本髪」の取り合わせが、「つきすぎ」なのだと言うのです。

 「なるほど…」いやはや俳句とは奥深く、手強いものです。

 家に帰り、私はこの句を何とか一人前の句に成長させようと次のように改めました。

  初めての日本髪解く梅月夜 (凡茶)

 そして、この句を会誌に投句すると、今度は先生からも高く評価していただき、私の代表作となりました。
 「つかず、はなれず」の丁度よい取り合わせを見つけられたようです。


≪はなれすぎ(離れ過ぎ)≫

 俳句を初めて二,三年経った頃、「古都の夕雨(ゆうさめ)田に畑に」という七五調のフレーズが頭に浮かび、これになんとかして季語を取り合わせて一句に仕立てようと、試行錯誤したことがあります。

 そして、私は次のような俳句を完成させ、句会に出しました。

  猪や古都の夕雨田に畑に
      猪=いのしし。秋の季語。

 結果は大失敗で、誰もこの句を採ってはくれませんでした。
 選評の際、皆さんに感想を伺うと、「古都の夕雨田に畑に」の中七・座五は良いが、それと「猪」が「はなれすぎ」で、趣を感じないとのことでした。

 二物衝撃の効果を狙い過ぎ、あまりに距離感のある季語を取り合わせてしまったようです。

 数ヵ月後、私は、次のように句を改良して、会誌に投句し、今度は無事に掲載されました。

  紙雛や古都の夕雨田に畑に (凡茶)
      紙雛=紙で作ったお雛(ひな)さま。

 「紙雛」という「つかず、はなれず」の良い季語が見つかり、私のお気に入りの一句となりました。



≪おすすめ・俳句の本≫

俳句の入口 〜作句の基本と楽しみ方 藤田湘子著
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■ 俳句はリズムである… 大切なことを教えてくれた一冊です。


 左の本に出会うまでは、伝えたいこと、表現したいことを無理やり五七五の定型に詰め込むような俳句作りをしていました。

 つまり以前の私にとって、定型は約束事だから仕方なしに守る制約にすぎなかったのです。

 しかし、この本を読んで、俳句は韻文であり、大切なのはリズムであることを知ると、定型、切れ字等の大切さが少しずつわかるようになっていきました。

 「意味」から「音」へ!
 私の俳句に対する意識を大きく変えてくれた一冊です。




俳句で楽しく文語文法 山西雅子著
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■ 文語文法を学ぶことと、俳句を鑑賞することが同時に楽しめます!

 文語文法(古語文法)の得意、不得意は、俳句の世界に足を踏み入れるか否かを決める際、結構、気持ちを左右するものです。

 私も理系学生でしたから、大学の俳句会に入る前、文法も知らずに俳句なんか始めても恥をかくかもしれないと、少し躊躇しました。

 左の本は、古今の俳句を例にとって、文語文法をやさしく丁寧に解説してくれる本です。私のような文語文法に自信のない俳人の、心強い味方です。






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