季重ね・季違い(一つの俳句に一つの季語)

 俳句は季語を入れて作るものですが、一句に入れる季語の数は一つまでにしておくのが良いとされています。
 なぜなら、俳句を握り寿司とするならば、季語はネタにあたる最も重要な句の構成要素ですから、むやみやたらに重ねて握ると、食べる側(鑑賞する側)は、どのネタ(季語)に味覚を集中させたらよいのか、わからなくなってしまうからです。
 そして何より、それぞれの季語が互いに持ち味を打ち消しあい、一句を台無しにしてしまうこともあるのです。

 例を見てみましょう。
 次の俳句は私の自信作であり、用いた季語は「新じゃが」(夏の季語)です。

  新じやがや野風の先の田舎富士 (凡茶)

 座五の「田舎富士」は無季の言葉ですが、これを夏の季語「青葉山」と取り替えてみましょう。

  新じやがや野風の先の青葉山

 このような、一句に季語が二句以上入った句を「季重ね」あるいは「季重なり」の俳句と言います。
 この句を元の句と比べてみると、「新じゃが」という季語の持ついい意味での土臭さが、「青葉」という季語の持つ鮮烈さ、清々しさに負けて、影をひそめてしまっています。
 また、「青葉」という季語から感じる生き生きとした緑色も、「新じゃが」の持つ土の色と混じり合い、どこか濁ってしまっています。

 次は「青葉山」を秋の季語「紅葉山」に替えてみましょう。

  新じやがや野風の先の紅葉山

 こうなるともう滅茶苦茶です。
 「季重ね」の俳句の中でも、上のような異なる季節の季語が入ったものは「季違い」と言います。
 この句は、新じゃがの収穫期にあたる初夏の生命力を感じ取るべき句なのか、紅葉が色づく晩秋の趣を感じ取るべき句なのか、全く分からなくなっています。

 見てきたとおり、安易な「季重ね」「季違い」は、脂の乗ったトロと、程よく酢でしめたコハダを、わざわざ重ねて握って寿司の味を台無しにしてしまう行為と一緒です。
 初心者は「季重ね」の句、「季違い」の句をできるだけ作らないように、はじめのうちはしっかりと意識した方が良いかもしれません。

 しかしながら、季重ね・季違いの俳句が全てが悪いかというと、実はそうではありません。
 例を見ていきましょう。

■ 季語が互いに生かし合う「季重ね」

 次の句は、『おくのほそ道』に収められた松尾芭蕉の作品です。

  一家に遊女もねたり萩と月 (芭蕉)
      一家=ひとつや。

 この句は、自らが泊る旅の宿に、遊女も泊っていることに気付いたという設定で詠まれていますが、「萩」と「月」という二つの秋の季語が互いを補い合って、なんとも言われぬ良い雰囲気を醸し出しています。
 もしこの句から、「萩」という季語を取り去ってしまうとどうなるでしょう。

  一家に遊女もねたる月夜かな

 これでは、遊女と一つ屋根の下にいる生々しい緊張感ばかりが前面に出てしまい、もとの句の華やぎが褪せてしまいます。

 今度は、「月」という季語を取り去ってみましょう。

  一家に遊女もねたりこぼれ萩

 やはり月が無いと、もとの句の持っていた艶が、ほとんど失せてしまいます。

 この句のように、二つ以上の季語が、生かし合い、補い合って句の質を高めているような場合は、季重ねは全く気になりません。
 皆さんも、季語を二つ以上入れることで、俳句の質が明らかに良くなるのなら、鉄の掟のごとく「季語は俳句に一つだけ」のルールを守ることはありません。

■ 強い季語と弱い季語の「季重ね」

 まずは次の句を読んでください。

  蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ (芭蕉)
      蛤=はまぐり。

 この句は、人々と別れて二見浦(ふたみがうら)へ旅立とうとする芭蕉が詠んだもので、やはり『おくのほそ道』に収められています。
 なかなか分かれたがらない蛤の「ふた(蓋)」と「み(身)」が分かたれるように、名残を惜しみながら人々と別れゆくという句意ですが、「蓋・身」と「二見」がかけられている機知に富んだ作品です。

 この句は、「ゆく秋」という秋の季語と、「蛤」という春の季語が詠まれていますので、いわゆる「季違い」になっています。
 しかし、この句で季語として働いているのは「ゆく秋」のみであり、「蛤」は季語としては扱われていません。
 もし、「蛤」が単独で俳句に詠まれたならば、春に旬を迎えた肉厚の蛤を季語として詠んだ句となりますが、「ゆく秋」のような強い季語とともに詠まれた場合は、蛤は季語としての性格を放棄します。
 つまり蛤は、時には季語として働き、時には無季の語としても働く「弱い季語」であると言えます。

 「強い季語」と「弱い季語」が一句に共存し、季語として働いているのが「強い季語」のみである場合は、季重ね、季違いはあまり気にならないのです。

 つい最近発見された次の小林一茶の句も、「雪」という強い冬の季語があることで、「猫の子」という弱い春の季語が、強い季語を支える無季に相当する語としての役割を担うようになっています。

  猫の子が手でおとすなり耳の雪 (一茶)


 ◎ 以上をまとめると、二つの季語が互いに生かし合っている場合や、強い季語と弱い季語の取り合わせになっているような場合は、「季重ね」「季違い」も全く問題にならないが、初学の頃は「季重ね」「季違い」の俳句はできるだけ作らないように心掛ける方が良いということになります。


 最後に、極めて例外的な季重ねの名句を紹介します。
 初心者はお手本とするより、鑑賞に徹した方がよいと思われる句です。

  目には青葉山ほととぎすはつ松魚 (素堂)
      はつ松魚=初鰹(はつがつお)。

 視覚で青葉、聴覚でホトトギスの声、味覚で初鰹と、全身の感覚を使って初夏を楽しんでいるわけですが、やはり味覚に訴えてくる初鰹が句の中心に座っています。
 作者の山口素堂は芭蕉とも親交のあった江戸時代前期の俳人です。



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 例えば、次の名句は、いずれも中七の後ろを「けり」で切り、座五に名詞を据える形をしています。

  ●凩(こがらし)の果(はて)はありけり海の音(言水)
  ●ひた急ぐ犬に会ひけり木の芽道(中村草田男)

 また、次の名句は、いずれも名詞で上五の後ろを切り、句末は活用語の終止形で結ぶ形をしています。 

  ●芋の露連山影を正しうす(飯田蛇笏)
  ●秋の暮大魚の骨を海が引く(西東三鬼)

 筆者(凡茶)も、名句の鑑賞を通じて、このような美しい俳句の形を使いこなせるようになることで、次のような自信作を詠むことができました。

  ●糸取りの祖母逝きにけり雪解雨(凡茶)
  ●露の玉工場ドスンと始まりぬ(凡茶)

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